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幕末・明治の二大賢者の一人 書評「座右の諭吉」


座右の諭吉 才能より決断
齋藤 孝


福沢諭吉といえば、一万円札の顔かもしくは慶応義塾の創設者である。

彼はそれだけの人間ではない。もちろん、それだけでもすごいことであるが、一万円札になっているだけの理由が彼にはやはりある。

幕末がらみの物語に福沢諭吉が登場するモノはあまりないので、幕末・明治維新を生きた人間という感覚は一般にはあまりないかもしれない。しかし、彼は幕末・明治の二大賢者の一人である。

もう一人の賢者は、坂本龍馬の師匠である勝海舟である。他にも佐久間象山、吉田松陰、吉田東洋など頭脳派の人物はいると思うかもしれないが、彼らほど世の中 の流れが見えていた人物は他にいなかった。




第一章 独立の章
第二章 修業の章
第三章 出世の章
第四章 事業の章
第五章 処世の章



吉田松陰は別の次元でそれ以上に評価されるべき人物であるが、歴史は彼に別の役割を与え、英雄にした。彼は、松下村塾の塾長であり、桂小五郎、久坂玄瑞、伊藤博文などを門下から輩出しているが、彼は教育者であり、革命の指導者である。しかし、彼自身は志半ばで内首になってしまい、その意志を弟子たちに託した。

一方、勝海舟と福沢諭吉は幕臣として幕府の命により、大政奉還の9年前の安政7年に短期間ながら同じ船でアメリカに渡っている。

また、勝海舟はその渡米前に江戸時代日本唯一の貿易港であった長崎に5年ほど幕府の仕事をしていたため、より外国の情報に近いところにいたことになる。

これらの経験に彼らの下地となっている知性に加わり、先見性やグローバルなモノの見方を与えたに違いない。

そして、2人とも生まれた家柄が決して良かったわけでなく、それぞれ実力で幕府における地位を勝ち取った2人であるため、庶民的な目線で幕府にとらわれずに思考できる立場にあったのだ。


「仕事においても人間関係においても独立自尊の精神に徹していた福沢は、主体性を重視していた。人の助言も忠告も要らない。自分からも無理にはしない。「血に交わりて赤くならず」の言葉にも通じる信念だ。」


「人間が師匠を求めたいと思うことは自然なものだと思う。自分を伸ばしてくれる師、高い人格へ作り変えてくれる決定的な師がこの世にいてくれることへの願い。それは、自己を高めたいと考える向上心のある人、真面目な人ほど強いともいえる。」


「これがなくなったら怖い、困るなど、いわば強迫観念めいた気持ちでいると、なくても困らないものでも不安になる。それを守るために汲々としてしまうものだ。」


「とりわけ彼が秀でていたのは時間への意識、期限への意識だ。悠長にしていては間に合わないという切羽詰まったスピード感覚が常に福沢の身体には駆けめぐっていた。 」


参照
座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書) 斎藤孝著



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2010年3月13日
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