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歴史のバランス 書評「竜馬が行く」



 

本書は司馬遼太郎氏による全10巻の歴史小説である。

坂本龍馬は、日本人の英雄である。

その彼がどうして英雄になったかといえば、それは彼が時代の流れがどう動くかを認識して行動を起こしたことが多くの人の心を打ったからです。

しかし、どうして彼にそれができたかといえば、やはり師である勝海舟によるところが大きい。

勝海舟は、山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれている賢者である。彼は青年期に剣術と蘭学を学び、やがて私塾を開くようになった。その後、幕府に登用され、長崎で5年間伝習生と教官の連絡役として過ごす。また、ペリー来航後の1959年には一度渡米している。

この時代にアメリカや西洋諸国を訪れいてる日本人なら誰でもカルチャーショックを受けたに違いない。また、長崎での5年間の経験も彼の外国感を磨くことに大きく貢献したに違いない。

他にもアメリカに渡った者はいたはずが、勝ほどの知性と見識、上流幕臣の生まれでなかったことから幕府にとらわれず思考できたこと、という条件を持ったものはあまりいなかったのではないだろうか。

その修業時代に培った頭脳と自らの力で勝ち取った幕府でのポジション、そしてそれに渡米での経験が融合し勝海舟が完成した。しかし、幸いにも彼の前に彼から学びたいという若者が現れた。後に弟子となる坂本龍馬である。

日本の歴史は、勝海舟の頭脳と坂本龍馬の行動力が重なり合うことにより、加速度を増すことになる。もちろん、坂本龍馬に彼にとって斬新な考えを持つ勝の言うことを受けとめる柔軟でとらわれない心があったということがここに幸いしている。

そして、その柔軟なクッションとしての役割が薩摩、長州、土佐といった異なる国からなる志士達の間で仕事をするのに大いに役立った。その正確から命を救われたこともあったかもしれない。考えを異にするモノにも真っ向から対立しない姿勢がプラスに働いたのだ。

その度量の大きさを西郷隆盛もこう評している。「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」

幕末の間、寺田屋で一度襲われることはあったものの、大政奉還まで幕末の舟の舵とりを堂々と行ってきた坂本龍馬であったが、司馬遼太郎氏が「竜馬が行く」の作中で書いているように、天がその役目を終えた竜馬を連れていってしまったかのように、その生涯を終えることとなった。

この暗殺を誰が行ったのかという議論もあるが、それはあまり問題ではない。ジョンFケネディと同様である。歴史にもしはないが、彼がもし生きていたら、その後の時代をどう生きたかと思う非常に惜しい人材を失った。

しかし、司馬遼太郎氏の最後の1ページでの物語の締めくくり方は見事としかいいようがない。



2010年3月4日
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