blog logo
 

なぜ勉強するのか



 

大学へ行っても大学院へいってもそれは、次の進路を決定する上で重要だから、という理由がたいてい素直なところである。そのため、履歴書をキラキラさせることができると分かればあとはエンジョイするだけ、ということである。そう考えると、何故勉強するのか、ということに深く考えることなく、その時間は通り過ぎてしまう。勉強したところで、成績評価表以外での活躍は感じられないのだろうからという具合に。


よほど裕福でない限り、多くの学生はアルバイトを学生時代にアルバイトを経験する。人によっては、フルタイムの労働者並みに働く。学生のできる仕事は限られているので、ほとんどの仕事は肉体労働になる。学生時代に人よりも財布に余裕がある人は一見余裕があって良いように見える。しかし、ここには明らかに誤解がある。


そのような長時間の肉体労働(家庭教師を含む)は若いときしかできないいくら貰っていても、それは一生続けられないし、その収入の限界も知れている。せいぜい20万円が良いところである。もちろん、特に家庭を養う必要もない学生にとっては小さくない額ではあるが。


一方で、知識労働者の中には、経営層の人間でなくとも、1億円以上の年収を稼ぐ人たちもいる。特に、外資などの成果報酬・実力主義の会社では長時間の肉体労働では得られないほどのフィーを貰える可能性がある。


もし、前者がA君で後者がB君なら、A君は初め沢山お金を持っているように思えたけど、5年10年したらB君はその点でA君のはるか前にいる。初めはA君をやり、後からB君に移行できれば理想的に思えるが、A君が何も考えずにがむしゃらに時を過ごしていた場合、それは難しい。何事にも準備が必要である。


仮に社会的生産性が収入に比例すると仮定すると、何百、何千冊と本を読み、勉強してきたB君の生産性が高いのは当然のことである。それはもちろん簡単に真似できることでも、短期間で実現できることでもない。


中国の孔子の箴言には、「速やかならんことを欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず」(「論語」金谷治翻訳、岩波文庫  )とある。


ナポレオンは、まだ陸軍士官学校の学生であったときに、毎晩訓練が終わると、毎晩遅くまで兵法や哲学を学んでいつ士官になっても良いように準備をしていたそうである。(「ナポレオン(上)」エミール・ルートヴィヒ著 (講談社学術文庫)


しかし、出世云々は置いておいたとして、勉強すること何がそんなに良いのだろうか。本を読まなければいけないのだろうか。勉強は、本を読むことだけではないはずである。とはいえ、もっと何かを良くしたい、とか成長したいというような気持ちがあると、その手段として自然と本を求めるのは自然な姿ではないだろうか。


その結果として何か得られるモノがあれば、また同じように本を通して学ぼうとし、そう感じなければ、何か別の手段を探すはずである。つまり、読むこと自体は目的ではく、自分の願望を満たすための選択肢の一つなのである。


勉強イコール机に座って本を読むといったステレオタイプではなく、どうしたら自分の願望を達成することができるだろうか、という日々の積極的な思考と苦悩の中に未来を切り開くための答えは必ずあるはずである。




2010年2月28日

トップページに戻る


Copyright (C) 学生の友 All Rights Reserved